御宮付御医師
江戸時代、若年寄の配下には医師が置かれていた。典薬頭・表御番外科・表御番医師・奥御外科・奥御鍼治・奥御医師・奥御口科医師・奥御外科医師・寄合医師・御目見医師・小普請医師などである。これらの医師には法院や法眼といった僧侶と同様の階級が叙せられます。
御宮にも医師がいたことが古文書より読み取れる。
『天保15年(1844)11月22日、東照宮附御医師並び御掃除兼役に、田中永賢が本山より認可される。御礼に金100疋・小風呂敷1枚・扇子2本持参。』
とある。本山とは、御宮別当寺が属していた東叡山にあたる。御宮勧請時より医師が居たのかは定かではないが、御宮の掃除役も兼ねて居たようである。
また慶応3年(1867)10月、 大政奉還を上奏され徳川幕府廃絶すると、御宮第10代目代であった菊池武貞も目代職を辞任。目代屋敷を政府から買い求め、扁蒼の業(漢方医:医籍免許番号 子三百七十七号)を開業している。
2007年09月24日(月)
No.35
(ものしり知識)
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