江戸時代東照宮周辺図 『御宮修復時の宿泊先』



【 銑役人の宿泊場】

天保年間の大修復時の見分時の宿泊先と修復時の宿泊先を調査してみた。

【 見 分 時 】
天保14年(1843)9月7日、世良田東照宮大修復の見分のため、御勘定方広木義太郎ほか江戸を出発。9日、御勘定広木義太郎、御仮役吉本与総左衛門、御作事下奉行勤方松田弥太郎、御被官森田金蔵、御普請塚田市太郎、手代出役峯田半平、漆奉行行組手代林八太郎・本田松之助、定普請細谷忠次郎、大棟梁甲良若狭、大工棟梁八木沢市右衛門・堀偽二郎、塗方棟梁堆朱平次郎、深秘職小山平吉、絵方棟梁斎藤源左衛門、神宝方野村助次郎・戸田次郎吉、神宝方棟梁竹崎岩見、その他33人が世良田に着く。10日、御宮見分役が御宮拝礼。翌11日より御宮ほか諸堂社・社宝・祭器具等の調査が始まる。約一ヶ月の見分後、10月9日に御宮拝礼。翌10日、御宮見分役が江戸へ帰府。

 \掬前辰帽木義太郎上下5人
◆)蔵庵に松田弥太郎上下5人
 大通庵に森田金蔵上下3人
ぁ“日市の辰五郎宅に吉本与総左衛門上下3人
ァ“日市の幸助宅に甲良若狭上下3人と八木沢市右衛門・堀偽二郎上下4人
Α‘鄲臾腓諒険Ρ厂臑陲忙弔蝪郷
○ 仲宿の幸右衛門宅に塚田市太郎上下2人
○ 総門の吉蔵宅に峯田半平上下2人
○ 南大門の次兵衛宅に林八太郎・本田松之助上下4人
○ 新町の八十吉宅に細谷忠次郎上下2人
○ その他の宿

【 修 復 時 】
天保15年(1844) 2月7日、寺社奉行松平和泉守乗全宅にて、御宮修復の御固人に忍藩の松平下総守忠国が仰せ付けあり、忍藩から御宮御領所の名主へ地元人足30人の雇いが依頼される。3月9日、世良田東照宮修復のため、江戸より御用御材木車引き9人が着く。25日、忍藩目付佐橋文右衛門、御勘定広木義太郎、御作事下奉行勤方松田弥太郎、御徒目付安藤伝蔵、御被官森田金蔵、仮役吉本総衛門、御普請塚田市太郎・川村理兵衛、勘定役富沢良助、小役土子勇次郎、手代出役峯田半平、漆奉行組手代林八郎左衛門・本田松之助、御小人目付松永林平・渡辺豊吉、定普請同心組頭助大山礼蔵、定普請御同心森伝次郎・信沢源八、定普請御同心出役永田仁三郎・吉沢源八、大棟梁甲良若狭、大工棟梁八木沢市右衛門・堀偽二郎、神宝方職人4人、その他56人が世良田に着く。

 \掬前辰帽木義太郎上下5人
◆)蔵庵に松田弥太郎上下5人
 大通庵に森田金蔵上下3人
ぁ“日市の辰五郎宅に吉本与総左衛門上下3人
Α‘鄲臾腓諒険Ρ厂臑陲烹歓
А〇葦Ρ厂臑陲謀攣厖次郎上下2人
○ 神宮寺に安藤伝蔵上下5人
○ 幸蔵宅に塚田市太郎上下2人
○ 利左衛門宅に川村理兵衛上下2人
○ 権三郎宅に富沢良助上下3人
○ 幸右衛門宅に渡辺豊吉・大山礼蔵・森伝次郎
○ 源十郎宅に信沢源八・永田仁三郎・吉沢源八上下10人
○ 菊池備之助宅に甲良若狭上下3人・堀偽二郎と八木沢市右衛門上下3人
○ その他の宿

天保15年(1844)3月28日、御固め人の詰め所(御宮鳥居前に3間の一間半・鼓楼門前に4間半の3間・平塚楊場に2間四方が出来き、忍藩家老兼物頭左藤与三右衛門・作事方掛り内田清九郎以下80人程が警戒に当る。また修復中に於いては、地元の人足が一人金一両。出火時にいち早く駆けつけた者に銀二分を与える時もあった。

「御神領百姓見取図」を元に現在までに分かっている宿を記してみたが、把握している人数だけ見ても実際の宿泊先は膨大な軒数であったと思われる。
2007年07月08日(日) No.9 (ものしり知識)