江戸時代東照宮周辺図ァ愿刑劼砲茲觚羌椶糧鏗押


     
         
図1【宿泊場の総持寺から東照宮】
     
図2【現在の位置(Map Fan)】

○寛保2年(1742)8月1日、利根川大洪水にて御宮破損。
○延亨元年(1744)12月6日、大雪により本殿北西脇の大杉が倒れ、屋根等破損。
○宝暦9年(1759)9月、御本殿御拝殿が雨漏りに付き、寺社奉行毛利讃岐守政苗へ報告。
○明和3年(1766)2月、大雪のため世良田東照宮破損。寺社奉行松平伊賀守忠順へ御宮修復願書を出す。
○天明6年(1786)7月16日、度重なる大雨の影響により利根川氾濫。御宮御門の南側の塀が、四十間(73メートル)ほど押し流される。
○天保3年(1832)1月4日、大雪のため、御宮その他が大破。
○天保8年(1837)8月14日、台風のため、廻廊・瑞籬・番所・御宮総門左右の塀が大破。寺社奉行阿部能登守正瞭へ、修復願書出す。
○天保11年(1840)9月10日、台風により御社内陣雨漏り。その他傷む。
○安政2年(1855)10月2日、関東大地震により東照宮境内の石燈篭が倒壊。

などが見て取れる。何れも寺社奉行へ御宮修復願いを出し、幕府により修繕・修復が成されてきた。

寛政年間の御宮大修復時の最中にも天災記事がみえるので紹介する。
『寛政8年(1796)6月18日、作事奉行井上美濃守俊恭、15日夜より続く大雨により宿の総持寺より舟にて御宮入来し、御宮拝礼。』とある。



2007年07月12日(木) No.10 (ものしり知識)