世良田氏の子孫はどこに


徳川家康公遠祖にあたる新田始祖義重公の子義季公が徳川・世良田郷を領し、徳川・世良田氏を称したことから当地は徳川氏発祥の地として周知の通りであります。
また、松平泰親公は「世良田三河守」、松平信光公は「世良田二郎三郎」、松平清康公は「世良田次郎三郎」、家康公第四子忠吉公は「世良田下野守」、尾張家三代綱誠公は元服時に「世良田」、徳川家継公は御幼名時に「世良田鍋松」と先祖の名字である世良田姓を称されています。

家康公による『御遺状御宝蔵入百箇條』によれば、「我、清和源氏の苗流れに生まれるといえども参州松平の姓、敵国の為に侵されて永いこと固められていた。今かたじけなくも天恩に俗し、世良田・徳川・新田の先祖の偉業と同じように回復できた。こりより代々この四姓をもって互いに称すべし。慎終追遠の教えの裏にでるようなことがあってはならない。」ともいわれている。

平成10年に当宮禰宜が「現在、徳川家康公の遠祖である新田一族世良田氏の子孫は何処に居られるのだろうか」と調査を試み、報告を『全国東照宮連合会会報 第33号』等に掲載しています。

結果、当時全国に世良田氏が約120世帯・その他に良田氏や瀬良田氏が約30世帯居られることが判明しました。
地域的分布は、関東から九州にかけが非常に多く、何れの地も南北朝の戦いの転戦地ごとが中心であることが分かっている。

現在、当地には世良田氏はおられない。新田義貞公が逝去され幕は閉じたかにみえますが、室町幕府の命による新田一族残党追捕があったことの末といっても良いでしょう。
新田一族の世良田氏は幕府に追われ、それぞれの故郷をしのぎ捨てて僻遠の地へ逃れ隠棲せねばなりませんでした。
戦地ごとに現在も子孫が居られるということは、一族姓を一時改称するなどしてその地に土着したものではないでしょうか。


調査報告後、当地の紹介と家系の問い合わせも試み、数件の回答を得ることができました。また当地の姓であるとして御参拝される方もおられ、お話をお伺いなどして現在も調査を継続しております。
2007年08月01日(水) No.17 (ものしり知識)