将軍家の東照宮



絶版『群馬県内の東照宮』

平成2年(1990)8月30日、『群馬県内の東照宮』が発行された。当宮宮司が数年に渡り、県内に鎮座する東照宮に関する文献検索と現地調査を纏めたものである。
現在も調査継続中であるが、群馬県内には当時58社の東照宮が判明している。この数は、昭和10年(1935)の『全国東照宮調』に記載されている社以外の発見も含んでいる。
その後、平成4年(1992)10月17日、高藤晴俊氏著による『家康公と全国の東照宮』が東京美術より発行。当時の調査報告で、全国に555社が判明。こちらも調査継続中であり、新たな東照宮の発見が毎年のように報告されている。

『家康公と全国の東照宮』には、誰が主に東照宮を祀ったのかという観点から全国の東照宮を紹介しており、将軍家勧請の東照宮は8社としている。
日光東照宮・久能山東照宮・紅葉山東照宮・二の丸東照宮・大樹寺東照宮・滝山東照宮・鳳来山東照宮・そして世良田東照宮がその分類にあるという。

江戸末期の肥前平戸藩第三十四代藩主・松浦壱岐守清(静山)が著した全278巻に及ぶ随筆集『甲子夜話』では、幕府勧請の東照宮を紹介している。
『幕府によって造られた東照宮は七ヶ所なりと云う。日光山・久能山・上野・紅葉山・仙波・世良田・船橋である。日光以下世良田までのお宮は何れも御厨子が三ありと云う。これは徳川三代の尊儀を意味しているのではなく、神秘の旨ありと云う。今日、諸国に東照宮は多く祀られているが、そのなかで、幕府を経て造立された東照宮もあるが、多くは私造にて造立されたものである。幕府の役人が遠行した時、幕府を経た東照宮は拝礼するが、私造の東照宮はどんなに壮麗な宮居でも拝礼しないことが作法であると云う。』とある。

上記異なる勧請主の東照宮の見解はここでは控えさせていただくが、日光東照宮・久能山東照宮と同様に当宮があるということが分かる。
2007年09月09日(日) No.29 (ものしり知識)