『世良田東照宮』の名称


       

     世良田東照宮 拝殿長押上
  第108代後水尾天皇(上皇) 下賜の勅額


神社の名称には、地名・祭神名や氏族名、またそれに関連する語句などを冠に付けている。
地名に関しては、全国各地の鎮座数が多い神社が用いている例が見られ、東照宮もその一つといえる。
実は『世良田東照宮』という名称は通称であり、『東照宮』というのが正式名称である。しかし日光東照宮や久能山東照宮同様に、当宮も『世良田』という鎮座地名を付け、またその通称名で知られている。やはり相互の由来も異なる上、冠を付けることが通例であり、当宮としても『世良田』をあえて付けるようにしているといったところであろうか。

『東照』とは、元和3年(1617)2月21日に勅賜された『東照大権現』の神号からとられており、東から照らす朝日のように勢い盛んな神の意味が込められている。家康公御遺言には「久能山に吉田神道で埋葬し、一年後に日光に小堂を建てて勧請せよ」。神に祀られることにより「関八州の鎮守になろう」と指示している。
これは平和を願い、戦乱の世を一つに纏めた公の想いであったのであろう。日の国である日本、その全てを照らし出し、未来の平和を願いつづけている神であると言えよう。
同年3月9日、日本の神として授けられる位階正一位が追贈宣下。公の御遺言により神柩は久能山から日光山へ葬られ、『東照社』の勧請となる。

東照社の『社』とは、神社に名づけられる称号の一つである。大神宮・神宮・宮・神社・社などの別がある。
東照社が『社』から『宮』へ改められたのは、正保2年(1645)11月3日に第110代後光明天皇より東照社に宮号が宣下されたことによる。
そのときの宣命には「元和3年に東照社が日光に鎮座されてよりこのかた、国家も平穏で皇室も御安泰、また幕府の政治も安定して現在に至っている。これは、ひとえに東照社の神徳のお陰である。それ故に、東照社を改めて東照宮と称し奉る」と記されている。

神宮号は、日向三代の皇祖を奉祀するもの、皇徳顕著なる天皇を奉祀するもの、古来の由緒が顕著でその慣例のあるもので、すべて旧官幣大社であるとされる。
宮号は、天皇の神霊慰藉のため奉祀したもの、特別の由緒かつ古来の称号のあるもの、そして東照宮のような特別に天皇からの宣下があったものとされている。
つまり『宮号』は神宮と同様に天皇との関わりある神社のみ使用が許された称号なのである。

日光東照社の宮号宣下に伴い、世良田の御宮も『東照社』から『東照宮』と改められている。

2007年09月14日(金) No.30 (ものしり知識)