最古の東照宮社殿と彫刻
徳川家康公の嗜みとして有名なものが『鷹狩り』である。生涯1000回以上は楽しまれたとさけている。またそのことで、家康公と鷹狩りの伝承は各地に多く残されてもいる。
家康公が鷹狩りを好むのは、単に遊びを目的としてだけではなく、遠地へ赴き農民の生活ぶりや苦労を知るため。そして身体を動かすことで健康に気を使っていたためであった。
【拝殿正面蟇股の彫刻『松に鷹』】
世良田東照宮拝殿は、元和3年(1617)に日光東照宮創建時に竣工したものを当地に移築した、最古の東照大権現を拝礼するための社殿である。
故に最初の社殿には、公の好きな『鷹』の彫刻が設けられたのである。
元和の幕府大工頭は、伏見城・増上寺・二条城・名古屋城・方広寺大仏殿・禁裏御所・江戸城天守閣・仙洞御所などを手がけた建築界の一台巨匠である中井大和守正清である。
正清は元和5年(1619)1月21日に逝去され、世良田東照宮に残る拝殿が正清の最後の作と云われている。
【拝殿背面蟇股の彫刻『松に鷹』】
『松に鷹』の彫刻に関し、中井家文書に以下の文が見て取れる。
かりとの、ふん(仮殿の分)
一、 壱枚 南西ノかへるまた(蟇股) まつにたか(松に鷹) 拾三人
一、 壱枚 かたふたノかへるまた(蟇股) まつ二つか(松に鷹) 八人
とある。この時にに作られた彫刻は57枚であり、その中で『松に鷹』の彫刻はこの二枚のみである。
日光東照社は、元和3年(1617)3月15日に竣工。(この時の彫刻職人は延べ3468人)
その後、家康公の御遺骸は久能山を発ち、4月4日に日光東照社仮殿へ外遷宮なされている。
この時の仮殿が後に日光東照宮奥社拝殿となり、世良田へ移築されたものとなる。
2007年09月28日(金)
No.36
(ものしり知識)
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