『御宮御神田』仝羌楔羶昔陵竸


      

【御宮神領田図 http://www.net-you.com/toshogu/shinryouden.html

『御宮御神領用水』は、東武伊勢崎線剛史駅の東南に流れる粕川から取水し、伊勢崎線境駅の前を流れ、世良田駅の南に沿って世良田の田畑へ流れている用水である。幕府崩壊後は、「佐波新田用水」と称されている。

      
【剛志駅東南の粕川からの取水位置(Map Fan)】

慶長13年(1608)、用水路の整備や修復、新堀の開削が実施。寛永21年(1644)、世良田に御宮が御鎮座され、御神領二百石の内七十六石が神領田として寄進されると、御宮神領田への水の引き入れとあって『御宮御神領用水』と称されるようになる。

      
【早川に架けられた千貫樋の位置(Map Fan)】

この用水路は、境から世良田への送水の際に早川という川を越えて水を横断させなければならず、「千貫樋」と言われる大型な掛渡井を架していた。

千貫樋の架け替えや修繕は、江戸初期までは幕府により成されている。

元禄12年(1699)、幕府により御神領用水の千貫樋(長27間・高3尺)の掛替え成る。(代官竹村若左エ門)
正徳 4年(1714)、幕府により御神領用水の千貫樋(横6尺・雨除付)の掛替え成る。(代官林甚五右エ門)
享保11年(1726)、幕府により御神領用水の千貫樋の修繕成る。(代官池田新兵衛)
享保14年(1729)、幕府により御神領用水の千貫樋(長24間・高2尺・横4尺)の掛替え成る。(代官池田新兵衛)
元文 2年(1737)、幕府により御神領用水の千貫樋の掛替え成る。(代官石原半衛門)
宝暦12年(1762)、幕府により御神領用水の千貫樋の掛替え成る。(代官伊奈半左エ門)
明和 3年(1766)、幕府により御神領用水の千貫樋の掛替え成る。(代官飯塚伊兵衛)
安永 2年(1773)、御宮別当寺払い下げ木材により御神領用水の千貫樋の掛替え成る。(代官飯塚伊兵衛)
安永 9年(1780)、御宮別当寺払い下げ木材により御神領用水の千貫樋の修繕成る。(代官遠藤兵右エ門)
天明 5年(1785)、御宮別当寺払い下げ木材により御神領用水の千貫樋の修繕成る。(代官遠藤兵右エ門)
寛政 4年(1792)、御宮別当寺払い下げ木材により御神領用水の千貫樋の修繕成る。(代官蓑笠之助)
寛政12年(1800)、御宮別当寺払い下げ木材により御神領用水の千貫樋の修繕成る。(代官野口辰之助)
文化 4年(1807)、御宮別当寺払い下げ木材により御神領用水の千貫樋の修繕成る。(代官山田茂左エ門)

江戸時代、『御宮御神領用水』によって神領田ほか当地(世良田・出塚・粕川)の水田百五十町歩を灌漑し、米作りの生産を支えてきた。




2007年10月22日(月) No.42 (ものしり知識)