『御宮御神田』神領用水の石橋1


東照宮神領田絵図
http://www.net-you.com/toshogu/shinryouden.htmlの製作にあたって、様々な参考文献を元に復元させていただいた。その中に「長楽寺懐往襍談/茂木高十郎」がある。これは昭和3年(1928)に完成されたが、刊行されてはいない。その当時、茂木高十郎氏(53歳)が旧御神領の名主の中島藤三郎(89歳)に聞いた話が大部分であるとされている。中島藤三郎は、天保10年(1839)生まれであり、江戸から明治を生きた方である。東照宮文書にも中島藤三郎の名が見えるので、余談であるが記しておく。

● 明治14年(1881)、世良田東照宮総代を世良田村(中島藤三郎・山藤喜三郎)、徳川郷(山鹿安二郎)、上江田村(坂庭新平)、下田中(亀井政太郎)、高尾村(高田円蔵)、小角田村(高柳小四郎・高柳孫三郎・高柳唯七)、西今井村(茂木伝七)、上矢島村(羽鳥保蔵)、花香塚村(正田直平)が勤める。

旧新田庄小角田村は、日光例幣使道が東西に走る村である。小角田の例幣使道は、群馬県道312号太田境東線と国道354バイパス工事などの整備事業により、現在は残念ながら数メートル残っているだけである。
「長楽寺懐往襍談」によると、江戸時代に「新町(現太田市世良田町字新町)の豪家茂木友右衛門が日光例幣使道の三枚橋と他二ヶ所に橋を架け替えた」という記述が出てくる。

          
  【東照宮神領田絵図/三枚橋石橋の位置】

御宮御神田は、東照宮神領田絵図にある小角田地区以外にも、三枚橋の周辺に南北数町に跨っていた。
三枚橋側には三軒屋と称される三軒の家があり、昭和3年時には一軒もなかったそうである。

          
 【 銑ジ什漾確認できる石橋の位置(Map Fan)】

_媾蠅陵0譟⊃凜瓠璽肇觧弔詁光例幣使道の脇に、石橋の残骸が積み上げられている。地元の方の話によると、道路整備により石橋のあった用水路には別のコンクリート橋が架けられたそうで、行き場を無くして畑の角に放置してあるといった状態である。

          
       【_媾蠅諒置された石橋残骸】

しかし、上記写真でもお分かりになって頂けると思うが、大理石を加工した立派な石橋であったと想像できる。
四つの四角い切断面は、水の塞きに使用するために加工された後である。
ここには、他にも石橋を架ける際に土台として用いられた石垣もそのまま残されております。

江戸時代に製作された大理石の石橋が、このように無残に放置されている状態にご覧の方々も心配なされることでありましょう。当宮の方で太田市の文化財保護課への保護要請のご連絡はさせて頂きました。
再現成るのであれば是非に見てみたいものである。

後日、その他の確認を取れた石橋を報告致します。




2007年10月25日(木) No.44 (ものしり知識)