御宮近隣の歴史散歩  敞幡社】


江戸時代東照宮周辺図
http://www.net-you.com/toshogu/edozu.html で確認がとれる、近隣の史跡を調査してみようかと前々から考えていた。
これまでも旧尾島町教育委員会や文化協会などにより、調査書などの発行もあり史跡などの文化や歴史は随分と報告が成されている。しかし、それらでさえも掲載されぬままの小さな社や石碑なども実際とのところ数多く残されている。
「東照宮ものしり知識」とは異なるものとなるが、江戸時代の御宮近隣の状況確認として、資料化されていないものを記すこととする。

    
【東照宮周辺図 八幡社の位置】

地元のお年寄りにお聞きした話によると、古くよりこの地に鎮座する由緒ある「八幡さま」とのことで、昭和中期までは小高い山の上に社が鎮座しており、周囲は木々に覆われていた。江戸時代は社前にある道を中瀬江戸道といい、その道から小高い山まで10メートル程の参道もあったそうである。
昭和22年(1947)9月のカスリーン台風の時、当地は利根川の氾濫により床上浸水にもなる状況であった。八幡社近隣で牛を飼う者が、この八幡の小高い山へ牛を避難させたとのことである。少なくともそれ以前は山もあったようである。現在も「はちまんやま」と名が残っている。

           
【現在の太田市世良田町字南八に鎮座する八幡社】

現在残る八幡社は、実際の場所より南に数メートル程移動され、小高い山や木々、参道は無くなっており、畑の隅にひっそりと勧請されている。
数年前に私が調査散策に訪れた時は石燈籠が崩れていたが、祠に下げられた紙垂などを見ると、地域の方が個人的にお祀りをされているようである。
現在、祠と道祖神の石碑、石燈籠が残されている。道祖神の石碑は、道路整備時に近くの道より移されたものであろう。石燈籠は、おそらく当時のままのものではないであろう。竿以外は別の石を乗せたものと思われる。竿には『八幡宮御宝前 安永四未八月吉日 上野国新田郡世良田村』と、奉納期日が示されている。

2007年11月01日(木) No.47 (ものしり知識)