御宮近隣の歴史散歩 【守下稲荷社】


         

   【東照宮周辺図 守下稲荷社の位置】

未だに調査報告が成されない社の第三段は、『守下(もりした)稲荷社』である。
やはり、こちらの稲荷社も邸内にあるため、許可無く立ち入りは出来ません。

今回、この稲荷社の調査にあたり多くの情報を得ることが出来ました。やはり歴史の調査は現地調査に限ります。

        
           【現在の守下稲荷社】

社の虹梁部分は若葉と雲の彫刻があり、現在も漆拭きであったことが確認できる。

        
        【守下稲荷社の内部】

内部には稲荷社の御社が祀られている。外側の社を外陣、御社を内陣としているようである。

社の所有者の先祖は、「上野国新田郡世良田郷祇園殿記」や「上野国新田祇園牛頭略縁起」などにも名前が見受けられ、当地の鎮守社の御神像を津島神社(愛知県津島市)から遷座させた一族として由緒ある旧家といえる。
また、「宝暦四年甲戌年八月十五日 吉田二位門人 朝倉大和守藤原正勝」による守下稲荷社に関する文書の写し巻物を保有している。
その他、國分寺という寺にもこの稲荷社に纏わる資料があるとのことであるが当方での確認はしていない。

稲荷社二社目の調査によって、どうやら旧家の邸内社としての勧請によるものではないかと想像する。但し、近隣の者の信仰もあつく、江戸期には参拝者も多くあったものと思われる。

調査経由をお話したところ、新たな情報をお聞かせ頂いた。
当地には「五社稲荷」と呼ばれる5つの稲荷社が古くより祀られているとのことでした。前回に報告した「天徳寺稲荷社」もその一つに数えられるとのことでした。


この他三社は、「東照宮周辺図」の範囲以外の地域に広がるようであるが、ここまで来ると調査継続せねばならないであろう。地元郷土史家によって纏めて頂けると有難いのであるが…社務の許す限り、当方で現地調査をし報告しようかと思う。
2007年11月09日(金) No.49 (ものしり知識)