御宮近隣の歴史散歩 ぁ敖典廾羂隹拏辧


未だに調査報告が成されない社の第四段は、『津久井稲荷社』である。
「世良田五社稲荷」の三社目の現地調査報告となる。
こちらの稲荷社も邸内にあるため、許可無く立ち入りは出来ません。
              
     

【上毛新田世良田略絵図の稲荷社跡】

上記版画の絵図の○印の箇所に「いなり」と「氏神」の記述がある。両文字の間にはカナ文字で「ソノイ」とも読み取れる。おそらく、所有者が津久井氏のため「ツクイ」とのカナ文字が本来である可能性は高いと思われる。

弘化二年(1845)の「上毛新田世良田略絵図」上では早川沿いに鎮座しているようであるが、現在はこの箇所には稲荷社は確認できない。
絵からの判断では難しいものではあるが、現在も同地の箇所は津久井家の畑となっている。その周囲は全てが田んぼとなっており、この箇所に鎮座されていたのではと想像することができる。

    
   【現在の津久井家邸内に鎮座する稲荷社】

現在は社の所有者邸内に鎮座されている。朱塗りの鳥居が設けられ、守下稲荷社同様に外陣と内陣と成る造りとなっている。
外陣内部には「昭和七年三月八日 稲荷社殿改築 当主 津久井藤四郎」との棟札が見受けられる。この時に移遷されたのであろか定かではない。
内陣の御社は二社とも朱塗りとなっており、虹梁部分も凝った作りである。

近隣者の話によれば「へいしろう稲荷」との通称名もある。昭和七年の当主の名である「とうしろう」の勘違いではとも思えるが、それ以前に「へいしろう」と言う名の先祖がおられた可能性もある。この辺りは新たな情報もあるかもしれないので、記事修正として再度ここで書き換えようかと思う。

     
【津久井家稲荷社の裏に鎮座する石祠】

調査を終え、再度正面から稲荷社を拝むと裏側に石の祠があることに気付いた。許可を頂き確認をしてみた。
現稲荷社との関係は一切不明であるが、立派な石祠が三社、鎮座している。手前の石祠の正面窓の両側には何やら文字が一行づつ彫られていたようである。右側頭に「奉」文字がなんとか読めるが、残念ながらその他は荒廃して読み取ることは出来なかった。
昭和53年発行された「尾島町の石造遺物」にも記載されていない。編集委員会も気が付かなかったのか、それとも削除されたのか分からないが、窓枠といい、屋根といい、随分と立派な社であるのに解明されていないことが誠に残念でならない。





 
2007年11月12日(月) No.50 (ものしり知識)