[20240421...+]
愛の響き
「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」(ヨハネ10:11-18)
「わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる」というイエスの言葉が読まれました。「命を捨てる」というと、何か命を粗末に扱っているようにも聞こえますが、イエスがいうのは、自分の羊、自分に委ねられたかけがえのない大切な人々のためには、自分の命を捨ててもかまわないということ。それほどまでに誰かを愛することこそ、本当の意味で生きるということであり、命を捨てるほど誰かを愛したとき、わたしたちは永遠の命を与えられるのだということです。肉体の死など恐れる必要はない。愛することによってのみ、わたしたちは永遠に生きる。イエスは、この言葉を通してわたしたちにそう語りかけているのです。
「羊は、わたしの声を聞き分ける」ともイエスはいいます。神の愛を伝えるためならば、その人のために命を捨ててもかまわないというほどの思いが込められた言葉は、相手の心に必ず届くということでし