世良田東照宮のミステリーな位置


静岡の久能山東照宮の社殿は、徳川氏発祥の地である先祖の地(世良田東照宮)を通り、家康公が鎮まる日光東照宮を向けて造営されていることは、多くの方が承知されていることであろう。

江戸城内西丸北東部の小丘高地の紅葉山に勧請された紅葉山東照宮は、二代将軍秀忠公が日常参拝ができるように造営されたものである。
実はこの紅葉山東照宮の社殿の向きも当地を向けられて造営されていたことは、未だ知らない方も多いと思える。

    

【家康公御遺言 http://www.net-you.com/toshogu/yurai.html

以前、某氏より紅葉山東照宮が世良田東照宮を向けて建立されていたらしいとの話をお聞きしたことがある。
そこで紅葉山東照宮の建立方向の確認をすると共に、久能山から当地を通り日光を指すのであれば紅葉山が当地を通り何所かを指しているであろうという仮説のもとに資料を広げて調査を行ったことがあった。
驚くことに、群馬県赤城村を示していることが分かったのである。

赤城村とは、某番組によって数年に渡り騒がれた埋蔵金伝説の地である。この地は、明治23年に水野智義が古井戸から徳川家康の黄金像を発見したことから現在に至る経緯があり、番組中では埋蔵金は発見されずとも地中に深く掘られた洞窟は明らかになった場所である。

水野家現当主の方とお電話でこの件をお話したことがあったが、何かを意味するものであることは間違いないであろうとの互いの見解であった。

    

また上記の家康公御遺言でも述べているが、紅葉山・世良田・日光が二等辺三角形にもなっている。
日光東照宮表門から表参道に向けての線は江戸をも指している。

社殿配置と様々な線からなるこのミステリー、多くの方々がご調査し報告されてくれることを期待致しております。





2007年10月16日(火) No.40 (ものしり知識)