重要文化財


世良田東照宮の竣工と正遷宮


群馬県一巨木な神域桜


当宮の国指定史跡である境内地に植樹されている桜(ソメイヨシノ)には、胸高周囲3.50メートルを越す巨木な桜があります。

ソメイヨシノの寿命は約40年から60年といわれております。これはソメイヨシノの子房は不稔性で子孫をつくる能力は無く、自力で繁殖することはできないからとのことからです。
しかし当宮の神域で見られるソメイヨシノでは、桜の自力での樹勢回復が行われていることが確認されております。

      

         【写真 

写真,任分かりの通り、寿命60年とされる元々の桜の内部を活用し、新しい子孫が生み出されているのです。

この写真,蓮⊃年前までは空洞部分に覆いかぶさるように枝がありました。しかし長い年月により腐敗、余儀なく切断をすることとなりました。
幹内には腐敗した大鋸屑が密集、雨の浸入により更なる腐敗を抑えるため、それらを全て取り除いたものです。
おそらく腐敗した大鋸屑が肥料の役割を果たし、発芽の栄養源と保護が成されたことによる結果なのでしょう。何れにしろ、ソメイヨシノに適した環境にあったということは間違いありません。

       
      【写真↓ 群馬県一巨木な神域桜】

写真↓は、群馬県内では一番巨木なソメイヨシノである。

●根元周囲・・・4.40メートル
●胸高周囲・・・3.60メートル
●目通周囲・・・3.60メートル
●枝張東西・・・20.00メートル
●枝張南北・・・20.00メートル
●樹   高・・・20.00メートル
●樹齢推定・・・不明

写真の幹は、表面に幹が幾重にも重なりあっているのが分かります。おそらく内部に新たに生まれた幹が太くなり、元々の桜の樹皮を押し広げながら一体となっていっているのでありましょう。それらは、現在でも樹皮のひび割れを起こしながら成長をしております。

東照宮神域にあるソメイヨシノは、この他にも十数本生息している。何れも巨木であり、春には境内のどこを見上げても、埋め尽くす程の花を咲かせてくれる。公園や河川敷に人寄せに植樹された桜とは異なり、国指定重要文化財の社殿との調和はもちろんのこと、神域におけるご神徳の現われであることは来宮されて頂ければお分かりになっていただけるでしょう。

注:) 当宮境内地に於いての酒宴やシートを敷いての食事等はお断り致します。


2007年08月21日(火) No.22 (ものしり知識)

群馬県で最初の自動車お祓い所


世良田東照宮の『交通安全祈願』と『自動車のお祓い』の始まりは古く、『自動車の清祓所』を設けての交通安全祈願は昭和52年(1977)より行われ、群馬県では最初の『自動車専門の清祓い所』である。

    

       【写真 

写真,蓮⊂赦贈毅看(1979)12月2日(日)午後2時から行われた交通安全祈願と自動車のお祓いの様子であるが、多勢の運転手とご家族が左側に立ち、頭を下げている姿が見て取れる。
祓い所の四隅には、杜より切り出された神聖な木が建てられ、注連縄が一周廻らせされている。
この日の祈願祭は、車の台数が多く、祓い所への進入は順番待ちであったという。

    
       【写真◆

写真△聾什澆痢惻動車清祓所』である。詳しくは、ホームページ内『祈祷ページ』http://www.net-you.com/toshogu/gokitoh.htmlをご覧下さい。
2007年08月17日(金) No.21 (ものしり知識)

碁盤上での七五三祈祷 


『 Q1:  天皇家の儀式では? 』
『 Q2:  碁盤上での七五三祈祷をする神社は? 』

    


A1: 
3歳(数え5歳)になると天皇から贈られた袴を着ける着袴の儀が行われています。その後、衣装を改めて碁盤上に立ち、髪の先に三度ハサミを入れる髪置きの祝いが行われます。碁盤上には京都鴨川の青石を置き、それを踏みつけて「えいっ」と声をあげながら南に飛び降り床に立つ儀式が行われています。
皇子は半尻(はんじり)に前張り袴、皇女は袙(あこめ)の装束を着用とし、江戸初期から伝統に則った着袴の儀が行われています。明治時代までは深曽木の儀も行われていた。

A2:
関東では、世良田東照宮と東京千代田区に鎮座する日枝神社のみである。
当宮が七五三の起源を調査研究し碁盤を使用したのが昭和55年(1980)の11月からに対して、日枝神社はその前年度から碁盤を取り入れている。
何故、日枝神社でこの儀式が行われているかというと、江戸時代に徳川五代将軍綱吉公の子である徳松君が祝祈願を行ったとされる神社がこの日枝神社なのである。それを機に諸大名・旗本などの武家で行われるようになり、商家を中心とする一般家庭に浸透していったと言って良い。七五三詣を発祥した神社である。
当宮の七五三祈祷に関しては、ホームページ内『七五三ページ』http://www.net-you.com/toshogu/shichigosan.html
をご覧になって下さい。

現在では、七五三祈祷を行っているお寺もあるようであるが、本来は神社での祝いの儀式であるということを知っておいて頂きたい。同じ関東であっても遠方のため来宮出来ない方は、その由緒により碁盤上での儀式は出来ませんが、お子様の成長を祝う素晴らしい七五三祈祷がお近くの神社でも行っておりますのでお探し頂ければと思います。

2007年08月12日(日) No.20 (ものしり知識)

碁盤上での七五三祈祷 


『 Q: 昔の祝いとは? 』



【髪置(かみおき)の儀】
幼児が初めて髪を伸ばす儀式で、生糸で作られた白髪を被せ祝う。また碁盤上に座らせて、子供の髪に縁起物を結び祝う。
この儀式は、平安時代の中頃から見え、公家は2歳、武家は3歳に行われた。徳川家では儀式終了後に東照宮に参詣している。

【深曽木(ふかそぎ)の儀】
碁盤上に立ち、髪を切り揃える祝い。
この儀式は、平安時代に見え、3歳の髪置きの後に男児は5歳、女児は4歳にて行われた。
江戸時代には碁盤上の左右に青石または碁石を置き、踏んで立たせた。

【着袴(ちゃっこ)の儀】
男女3歳から8歳、後に5歳から7歳にて碁盤上で始めて袴を着ける祝い。その際、男児は父親、女児は母親が中心となり袴を着ける。
平安時代中頃には身分のある人が行い、鎌倉時代には武家が行う。男児は裃を着用し、女児は緋袴を着用。一般の女児はこの儀式は行わなかった。

【着裳(ちゃくも)の儀】
12歳、14歳の女児が成長して初めて裳を着る祝い。
平安時代より見え、身分のある人のみ行われた。

【帯解(おびとき)の儀】
着袴の儀にて着けた装束の紐を大人と同じように腰で帯締めをする祝い。帯び直し、帯び落とし、紐直しなどとも呼ばれる。
2007年08月11日(土) No.19 (ものしり知識)

碁盤上での七五三祈祷 


『 Q: 何故、世良田東照宮の七五三祈祷は碁盤に上がるのか? 』



本儀式は平安時代に公家等によって始められ、武家がそれに倣い、江戸時代に徳川家により執り行われた儀式である。
近年の晴れ着を着用して神社へお参りする風習は明治以降のことで、大正時代になって一般化され、盛んになったといえる。

現在での七五三は神社へお参りをし、子供の育成を祈願する人生儀礼の一つとなっているが、その起源を溯り、それに関係する祝いと成長を願う儀式が他にもあるのではないかと当宮独自で調査したところ、碁盤上に上がっての祈願を執り行っていたことが判明した。
当宮が将軍家や天皇家と深い関わりある由緒により、昭和55年(1980)から碁盤上での七五三祈祷を執り行っている。
2007年08月10日(金) No.18 (ものしり知識)

世良田氏の子孫はどこに